From Nowhere To Somewhere ?

ビートルズの曲名から名を採った無定見、無我、無帰属の男が、どこかに辿りつけるのかという疑問文(題名、字面通り)

参院選の既定路線化を憂うエッセイ

半ばのあきらめを込めてのご紹介(ご存知のかたは多いでしょうが)。

Yahoo! JAPANの検索ビッグデータが参院選を予測、自公で71議席以上 -INTERNET Watch

 

 そういえば、選挙はかように優勢ながら、アベノミクスが終わったかどうかをエコノミストの方々は声高に論じておられます。既に…。

 

 法律をかじった僕のような半端な立場の人間からしますと、経済効果はもちろん出てほしいのですが、むしろ歴史のお勉強(法制史、憲政史という見地など)と噛みあわせて推測をたくましくします。

 

 一方で思うことは、アベノミクスが終わるのは、日本の経済のためには現状、おそらく良くないのだろう…他方で、安倍首相は嫌がるだろうけど、参院選の後の改憲論議への懸念があり、かつてのナチスの政権掌握およびその顛末と、アナロジカルに比較対象にしたくなるんですよ。

 

 当時を現役で知るご老人がこれを読んでくれるとは思えませんが、諸文献を調べれば僕よりずっと若くても史実に触れることはできますから、むしろそちらに期待してます。

 

 そういうチェック能力のある人は既に僕以上に憂慮してくれてそうだが(苦笑)、ナチスは、当時のドイツ人たち自身が、長引く不況脱出を賭けて切り札として政権に就かせた、まったき正統な選挙結果を根拠にする政党だったわけです。

 

 そして、アウトバーンでしたっけ、有名な無料高速道路整備やら(近年、とうとう有料化されたそうだが)、フォルクスワーゲン一家に一台政策を達成したり飛ぶ鳥を落とす勢いだったそうなのです(参考:ナチス・ドイツの経済 - Wikipedia)。もしも、一部のエコノミストたちがビシっと正しくて、既にアベノミクスが終わっているのなら、アナロジーもアイロニーも、寓意は弱まっちゃうんですが(苦笑)。

 

 この後、ナチスが何をしたかというと、経済政策での成功で信任を得たものと看做し、今度は国の根幹である法制度を、自分たちの動きやすいようにガラッと変えてしまったわけです。その帰結は、ご存知のとおりです。

 

 僕がここで何を言いたいかは薄々気づいていただけると思うのですが、安倍首相の政権が96条改憲を皮切りに、大して議論を深めることなく、さらっと人権規定の蓄積を転覆させてしまわないか?という懸念を懐いています。

 

 もっとも、過剰な心配症だと思われても困るのでお断りしておくのですが…「議論が深まった上での改憲」なら、僕は受容する覚悟があります。明言しますが、僕は改憲派なので。

 

 ここで冒頭に翻りまして、このYahoo!のビッグデータ分析は、副作用がありそうな気がするんです。データや分析は善意で提供されるものでありましょう。でも、サイレント・マジョリティに、深層心理で拘束力をもたらさないか?などと先走って杞憂しています。つまり、この結果を見てしまった人は、ゲンナリしながらも、「多数派に同調しておくか」ということで、自公政権にオートマチックに一票、ということになりはしませんかというね。情報提供者の意図を超えて意味付与がされてしまうのでは。

 

 たしか、心理学でありませんでしたか、こういう予定調和。結論に自分から帳尻合わせしてしまう心理。すっと自分で心理効果や現象名で指摘できたら最高なんだが。うーむ。

 

 蛇足:第一次安倍内閣のときの、とあるエッセイ

読まない力 (PHP新書)

読まない力 (PHP新書)

囲いの中が、上記書籍からの抜粋です。↓

 「美しい日本」って何?

 

 最近の標語は「美しい日本」だったような気がする。それとも「儲かる日本」「儲からない日本」だったかしら。

 長崎に入ってきたオランダ船の水夫は、おお、天国、と叫んだという。それだけ美しかった日本だが、その長崎にはオランダ村ができた。オランダ村は経営が破綻したというから、やっぱり「儲かる日本」「儲からない日本」じゃないのかしら。富士山を世界遺産にという運動は、ゴミだらけだからという理由で、腰砕けになったらしい。私は「鎌倉を世界遺産に」という会の会長をしているが、その私の耳に「この汚い町のどこが世界遺産だ」という市民の声が聞こえてくる。

 「美しい日本の私」とは、たしか川端康成ノーベル賞受賞講演の題だったと思う。芸術家が「美しい」というのはわかるが、政治家が美しいというのはよくわからない。およそ縁がないものを標語にしておけば、とりあえず無難ということか。それとも美もまた、経済と同じように、政治と官僚の支配下に置くべきものだということか。

 政治的美とか官僚的美とは、どういうものだろうか。自民党復党は日本の美だろうか。平沼赳夫さんはやせ我慢という説もあるが、それならいくらか古典的な「美」に近いのだろうか。福沢諭吉もやせ我慢を説いたはずである。

 閣僚がずらっと並んだ写真は美しいだろうか。国会議事堂は美しいのかなあ。東京でいちばんきれいなのは、ともあれ夜のレインボーブリッジではないか。なにしろ夜だから、明かりしか見えなくて、とても東京とは思えないほど、きれいである。夜目遠目笠のうちというではないか。

 このところ丹波や京都の山奥に行ったが、里山は竹が伸び放題、松は枯れっ放し、田舎の人手がないんでしょうな。霞が関から助けに行ったら、と長年主張しているが、誰も聞いていない。はて、日本の美って、何だったっけ。                      (2007年2月)