From Nowhere To Somewhere ?

ビートルズの曲名から名を採った無定見、無我、無帰属の男が、どこかに辿りつけるのかという疑問文(題名、字面通り)

パンクについての随想

僕は洋楽好きです。しかし限定的に邦楽も好みます。ただ、この限定というのがかなり狭いのですが。

随想とお断りする真意から入ります。古文や現代文の授業で徒然草を学ばれた方は多いと思います。文字通り、徒然なるままにひぐらし硯に向かいて云々。転じて、思いついたままに書き連ねる文章です。

ビジネスでは無計画な文章自体が否定されるけれども、インスピレーションを残照のように残すことができるということで表現方法としては認められています(ただしそれが仕事としてできるのは「随筆家=エッセイスト」という職業レベルまで達しないとお金はもらえないが)。

パンク・ロックが好きな人は、まず、音を思い浮かべるかもしれません。世人の形容に曰く、破壊的な音だとか、疾走感があるとか、硬質だとか。あるいは、視覚から入って尖ったビジュアルを思い浮かべる人もいるかも知れません。

ちなみに、車がパンクするというカタカナ語があるように、a punk と当時青年に向かって言うとき、それは人の変形したもの=穀潰しとかゴロツキとかチンピラって意味だったらしいです。

だから、パンク・ロックは正統派を気取るロックがアイドル化して持て囃されつつあるとき(偽善者)のカウンター(偽悪者)としての文化だったとされています。一応。90年代にオルタナティブ・ロックが現れた時には、ということは、パンク・ロックも一つの持て囃されつつある時流に成り下がっていたかもしれないのだけど、それはここでの主題とは関係ありません。

というのは、パンクというのはそもそものロックが果たしていた役割の原理主義だったので、アティチュード(態度)の問題だったはずなのです。だけど、器物損壊とか犯罪行為をするという意味じゃないんですよね。

たとえば、日本でもよく知られているオアシスのリアム・ギャラガーが昔、「一番パンクなのはジョン・レノンだ」という発言をしていて、音やビジュアルから入る人は「?」だったに違いありません。でも、政治や法律を学んだ人ほど、IMAGINEの歌詞を読めば読むほど「平和思想かこれは?」と思うに違いないのです。彼は、単なる共産主義かぶれじゃない。しょっぱなから、宗教否定をする。天国も地獄もないというでしょう。アサイスト=無神論者でしょう。国家もないという。アナキスト=無政府主義でしょう。所有もないという。共産主義や社会主義に通じるでしょう。だけど多分、同じコミュでも原始コミューンやら、共同体主義者=コミュニタリアンじゃなかったかと思うんですね。民主主義をベースにしてるからこそ「パワーを民衆に」といったのであって、一党独裁へとは言っていない。

ともあれ、ジョンはジョンでもジョン・ライドンシド・ヴィシャスセックス・ピストルズが歌ったような、アナーキーが悪いとは言わないんです。彼らは誤読してたっぽいけど。無政府主義とは、中世のような中間団体は認めるんです。今でいえば業界団体ですかね。それらの間の調整役としての行政を今ではなかなか捨てられないでしょうけど、理論的にはその調整や介入が自由を奪っているから無政府にしようというのであり無秩序じゃないんですよね。

だから、ゴミ箱をひっくり返して投げつけたり、ステージからダイブしたり、酒呑んで喧嘩したりという若気の至り肯定論みたいな「パンク」は青春のヒトコマとしてはありなのかもしれませんが、真性のパンクじゃない気がします。よく批判されるように「暴れて何か変わるのか」と言われてしまいますし。

上述のようにパンクは格好や音の定型性じゃなく、態度の問題だというふうに解すると、一見不合理に思える言動や行動が「パンクだ」と一部で賞賛される現象について、筋が通る説明はありえます。

原発をいって緊急出版された、大震災前に東大閥から干されてしまった学者さんたちがおられましたが、彼らなどは学者であるけれども、モヒカンになってたりピンの付いた革ジャンなんか着てないけれども、あれこそがパンクなんです。既成秩序に抗ってるし。実際、脱原発の世論喚起に相当寄与したでしょう。

とはいえ、それを汲み上げる民意の体現者が政府運営をやっていない(居ても抑止されてしまう)からこそ成り立つんですけどね…。いや、政府にかぎらずメインストリームに対するカウンターカルチャーって。

要するに、パンクについての随想と申しましたが、パンクとは音や服装(これらは手段で目的じゃない)に宿るべきアティチュード(目的、内容、実質として)の問題だ、しかしただ暴れたりする態度のことではない。そういうことでした。以上です。