From Nowhere To Somewhere ?

ビートルズの曲名から名を採った無定見、無我、無帰属の男が、どこかに辿りつけるのかという疑問文(題名、字面通り)

憲法記念日によせて(擬人法で語りかける)

 おはようございます、こんにちは、あるいはこんばんは、憲法さん。

 ネットなもので。四六時中挨拶対応だから、テキトウに見えたらすいません。

 今日は65歳の誕生日ということだそうで。おめでとうございます。

 …公布は1946年だそうだから、66歳ということもありえそうですけど、施行を祝う日だからたぶんいいんですよね?

 今の日本の礎を創る手助けとなる理念を保持してきてくれて、大変感謝しています。

 大上段になるようですけど、ホッブズという思想家が、「万人の万人に対する闘争」状態という蛮人みたいな思考実験をして、それを制御しなきゃいけなくなった。人間不信状態ですよね。そこで、ロックという思想家が市民政府というやつを考え出し、ルソーという思想家が(論議あれど)一般意志(思)というやつを想定した上で、人間は売買契約や雇用契約のような個別の契約を超えて、社会という巨大装置をみんなで営む契約をしたんだといいだした。社会契約。

 あなたはだから、社会契約書だ。我々の社会の生き証人ですね。理念提供者。

 ただね、憲法さん。

(1) あなたが提供してくれた13条、個人の尊重や幸福追求権を謳った憲法の中心条文とされているもの。保守的な方々は、戦後教育の失敗をいうとき、皆が「俺が俺が」「私が私が」といいだしたことによって共同体が崩壊する一助となったといわれてるんです。それについてはどう思われますか。マイケル・サンデル教授が白熱討論されてましたけど、ファシズム化した日本を一旦リセットして(今はリセット状態で個人化が進んで分解しそうと仮定する)から共同体主義を再度採用するってことでユナイトできるような問題なのでしょうか?

(2) あるいは9条、戦争放棄を謳っているとされてますね。でも、98条2項でしたか、国際協調主義があります。前文も、自国のみの利益追求はしないという趣旨のことを言っている。グローバリゼーションの国際社会で、自分は戦争をしないけど、アメリカから要請されたらオイルを補給しには行く。イラク戦争の前線か後方支援かなんて不毛な議論もありました。9条は13条を守るために平和主義なんだという大筋はわかります。だけど実現手段が込み入っている。9条の係り受けの話です。難解な理念を提示されちゃったおかげで言語パズルみたいな解釈がまかり通ってしまっています。解釈改憲なんて揶揄もあるくらいです。硬質(性)憲法が形無しです。この際だから、一度リセットして明文化したほうが、軍国主義化を懸念する人のためにも、シビリアン・コントロールしやすいほうに動かせる可能性もありますよね。きな臭いけど、この辺り、どう思われますか?

(3) 生存権の25条も、労働基本権の26,27条も、最近では微妙な扱いです。小泉さんの時にアメリカに同調してネオリベラリズムに染まったことをやったから社会に激震が走ったんだ、痛みを伴う改革は痛みだけだったという痛烈な批判が渦巻いています。その上にTPPなんて議論まで最近は足されそうです。

(4) 経済や政治の構造の延長で言うと、「軍事をアメリカに任せて経済国家だけやってりゃいいんだ」という思想を裏から支えた、営業の自由の22条1項東京電力って会社は電力会社の一角に過ぎませんが、電力会社と電力行政のありようを伝えてくれます。パラフレーズすると私企業と行政の癒着のありようですね。接待や贈与で監視を骨抜きにした上で、行政に提出した計画を認可もらった瞬間に変えてた等(高台に建てる予定だった設計なのに、海に近づけて原発を再設計した→補助電源まで海水につかったのは散々報道されました)好き放題な営業をしたせいで、福島が津波のあと復興するにも「不毛の土地」ができたりしてしまったようです。昔も津波はありましたから悲しくても乗り越えるしかないという海沿いならではの伝統的割り切りもあるでしょうが、放射能汚染は人災で別論です。東京に電力を送っていた福島の原発が放漫経営というか傲慢経営されていたことは、社会契約書たるあなたの提示した理念とどう僕らが向き合ってきたかのひとつの象徴だと思うんです。やっぱり怒りますか?

(5) 報道の自由の21条1項を駆使してたマスコミも返す刀で斬るようなのだけど、自民党時代にクリーンエネルギーだといって、原発を電力会社発の情報を鵜呑みにした上で国民が納得する情報を選別して流していたのじゃないか?知る権利に資するって一体なんなのか?社会契約違反ですよね?僕らは事故ってから真相を知らされたのであり、知る権利は機能してなんかなかったじゃないか。いや穿っていうと、知りたくない権利を行使してたんでしょうかね。みんな夢遊病だったんだ。やっぱり怒りますか?

(6) 上を承けるのですが、新聞社も、ネット化やデジタル化のあおりで紙のほうが売れず、サイトでどうやって収益するかトライしておられるようです。地元情報としてのチラシが朝刊に挟まれていたことの効能(知る権利のほかにも、社交のネタとか)をいう説もありますが(ネットだと季節感はあっても、どこからでもアクセスできるため地元感がフラット化されてしまうおそれがある)、一応広告が画面には出てきて、企業のサイトから企業のサイトへ横断できたりはします。検索サイトなども移動に貢献してくれます。

 ところで、最近では、自社の売り込みのためにサイトを創っている会社がたくさんあります。そこでは、自社防衛のためにと称して、様々な探知方法があるようです。不正アクセス等を禁じた特別法もあるけれど、今日は憲法記念日なので、通信の秘密(21条2項後段)の侵害とそうでない態様の分水嶺はどこでしょう?というにとどめます。

 検閲禁止(21条2項前段)は最高裁判例では、たしかに行政権に向けられた国家への鎖なのだけど、行政権と同視できる程度に強大な私企業はたくさんあります。彼らが情報収集や操作をしたりするのは検閲じゃないっていうのはかなり形式論だと思うのです。国家同視説ってアメリカにはありますね。憲法さんはどう思われますか?海外の学説に日本の学者さんはかなり敏感なのに、検閲に関しては鈍感で通そうとしてさえいるみたいだ。ネットの発達は利便性と同時に市民の自由の剥奪も含んでいる気がするんですが、社会契約書としてのご意見を賜りたいのです。いかがですか?

(7) 明文で存在しない新しい権利などはどうです?環境権とか。これがないせいで、四大公害病なんてものまで起きちゃったんですよ。あとから認識されましたけど。他にも日照権とか景観権とか肖像権とか色々話題になりました。

(8) 象徴天皇制(1条から8条まである、少し飛んで99条なんてのもある)の議論は右翼の皆さんにも納得してもらう展開は難しいかもしれないけど、試みますと、身近なところでは女系の天皇を作れないのかという話や、国歌斉唱をすべきかなんて話があります。

 まず後者から、憲法さんの理念に合致するように考えてみたいのですけど、君が代は千代に八千代にという歌詞からもわかるように、「主君の治世が1000年にも8000年にもわたって」要するに永久に続けという君主制礼賛ソングですよね?天皇主権といっている。でも日本は国民主権です。実権は国民だけど、歴史的敬意を払って象徴として天皇制は残した、という位置づけ。だとすると、君が代を歌わないと不敬罪みたいな雰囲気の復活を助ける某府条例などは違憲じゃないでしょうか?政治的な信条や宗教的な信仰を侵害してることになりかねないし、まず憲法さんの前提を崩している気もする。どう思われます?強制してないからいいんだというのが今まででしたけど、今後は実効性を担保していきそうで怖いんです。愛国心は自ずから湧き出るもので、卑近だけど温泉みたいな温かみあるものでしょう。外側から「心のあり方」を体罰や罰金などで強いられるようになったらどうするのかな。

 次に女系天皇に行くのですが。文献を全て鵜呑みにしないのは歴史学や考古学の鉄則だと思うんです。偽書だってありますし。お武家さんですが、徳川吉宗が八代目の時点で遠戚の中から発掘された名将軍(?)という話を援用すると、日本の黎明期から存在したとされる天皇家で、本当に女系が存在しなかったのかなんて誰にもわからない。フェミニストを気取らずとも許容していいんじゃないかなと。血の筋がどうしても重要っていうのは制度的虚妄ですから。「女性天皇は居たが(推古天皇とか孝明天皇とかね)すべて男系から出てきた人たちだ、系統はどうしても男系だ」という論旨は一応わかるのですが、系統にこだわる根底の理由がわからないんですよね。万世一系を信じてないと言えない。DNA鑑定でもできるんでしょうか?紀元前の墳墓とか調査してみてほしい。ミイラには髪の毛くらい残っているでしょう。鑑定可能じゃないかな?憲法さん、どう思われますか?宮内庁が国民に隠していることが多ければ多いほど、憲法さんの理念から遠のくと思うんです。

(9) きな臭くなってきましたが、国民主権と天皇主権、多彩な信教の許容と戦時下国家神道の押し付け、それへの反省とくれば政教分離(20条1項後段と3項、89条)です。とはいえ、日本独特の展開ですけど。上記したルソーって、一般意思を重視したそうなのですが、彼の著書には、個々の国民の自由意思の総体としてのそれを重視しているのであり中間団体は少なければ少ないほうがいいと言ってます。なぜかというと、団体の旗振りによって、団体の個数だけ意思があるというふうに意思が縮減されてしまって、一般意思の分布地図とでもいうべきものが歪曲されてしまうからだそうです。公明党と創価学会は袂を分かったのだ、と発表されています。それを一旦は信じようと思います、フェアな思考実験にしたいので。では過去は違憲行為はなかったのかな?創価学会日蓮正宗という仏教の一門と仲良しだったそうですね。だとすると、学会とは言うけれども宗教団体と一心同体で動いていた(今もそうかは不問です、ここではね)。公明党はその下部組織として、創価学会員の人達によって(集票マシーンとして)支えられているとよく噂が聞こえてきます(僕は流してません、念のため)。そうすると、ルソーが懸念したような、一般意思の歪曲が起こっている上に、宗教団体が政局に影響をコンスタントに与え続けてきたのではないか?もちろん、最高裁判例は(概要)、アメリカのレモンテストの変形で、宗教的な目的を帯びて、ある宗教を特別に助長促進したり、逆に抑圧したりするような効果のある国家行為のみを封じるべきといってます。で、基本、世俗的になった宗教行為は無害だから国家が関わっても無害、放っておけというスタンスです。しかし違和感があります。的を正確に射れないかもしれないけれど、違和感の端緒としては例えば、クリスチャンの人たちは(本当に無欲なのかもしれないが)政治進出しない。日本ではほんの1%しかいない正真正銘のマイノリティです。人権擁護を言うなら、彼らのためにこそ政党が要るのでは?でも彼らは無用な誤解を回避するために、通常選挙への投票参加しかしないのではないでしょうか。創価学会が一大潮流(あくまでも政治上だけど)を作っているために、他の宗教が継続的黙示的に抑圧されている関係にあるとは言えないのかな?司法制度では裁けない領域の話になりそうですけど。立証が困難だし。ご当人である憲法さんは、政教分離って緩く考えておくほうなのですか。

(10) もろもろ、違和感が多数にのぼります。改正手続があることは知っていますが張子の虎でしたよね。フランスの憲法の理論は多数参照されていると思うけれど、改正の理屈は持ってきていない(終戦の1945年から2010年までで27回だそうですよ!)。共和政だから日本とは違うという説もあります。じゃあ、ドイツはどうです。似たようなシステムで57回です。(ネタ元

 憲法っていうから不磨の大典、金科玉条になってしまって大変だけれども、上述のとおり契約書だと考えたら身近じゃないですか?社会契約って一部更改もできないのかな?国民の意思によって形成されているのに?

 人間だって骨が折れればギブスもするし、臓器が悪ければ移植もしますよね?憲法さんはどこか悪くなっても一切治療するなっていう非人道的論調のが今までの多数派論調だったのですが、ご本人はどう思われますか?

 

(11) 憲法さん、長々とお付き合い下さりありがとうございました。僕がもっと個人的に気にしてる瑣末な議論も他に多数あるのですけど、それはまた次の機会に。来年までにはもっと議論が深まっていることを期待してお開きにしましょう。これにて失礼いたします。