From Nowhere To Somewhere ?

ビートルズの曲名から名を採った無定見、無我、無帰属の男が、どこかに辿りつけるのかという疑問文(題名、字面通り)

■法律家のように一般意思とせずに一般意志とした意味が、ほんのりとわかるかもしれない

 東浩紀先生の「一般意志2.0」について、賛否両論ある中で、割とバッシングがひどいらしいです。 しかし、どうも、誤読が元になっているのではないかという趣旨の指摘があります。

 なので、要旨を掻い摘みながら(支持者の末席を汚す者として)、擁護の論陣を張ってみたいと思います。

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

 

 本書で、導入部分、東先生は、政治学(社会思想であり即、社会主義じゃない)・憲法学の功績・蓄積に敬意を表する態度は保持しながら、フロイトなど以下の文章で続く接合部分に心理学などを用いるので、「これは通説的な見解とは異なったものだ」と断っています。  

 一応、序盤ながらこれは踏まえるべきかと思うのです。通説とのズレをことさら指摘しても建設的な議論に全然発展しないので。    

 その上で、ルソー研究者たちがご存知の「ジャン・ジャック・ルソー問題」は、ルソーが高潔な社会契約論提唱者だという史実に目眩ましされているから起こる誤謬ではないのか?といいますね。    

 しかし、彼らはあらゆる文献を備えた後世から逆算して学んでいるために、ルソーの生い立ちなどを分析していないおそれがあります。この、幼少期がその後の人生の帰趨を左右するとする手法はフロイト的ですよね。フロイト派の精神医療従事者がいたらすいません。あくまでも「的」であり、厳密なお作法ではありません。    

 東先生は、ルソーが今でいうオタクとか、ひきこもりとか、ニートとか、社会生活不適合者の先駆者だったと想定しています。これは、研究者のほうが詳しいでしょうけど。しかしそうならば、上記の誤謬に至るはずはないのではないかというわけです。    

 というのは、彼らは厭世観とか人間嫌いで共通していたりします。ルソーは一般意志を編み出したけど、それは教科書で言うような、ロックやモンテスキューのような強靱な個人として編み出したわけじゃなかったのです。要するに、一般意志は、人々が一堂に会しただけで立ち上がる民意の総意みたいなものだとフィクションを構成したのです。ディスコミュニケーションでも(ここ重要)オートマチックに立ち上がるソフトウェアみたいなものです。    

 ここで、フロイトに接合されるわけです。それは、社会の無意識。意識を絵画の前景とすれば、無意識は背(後)景です。マンガチックですが、みんなの後ろにオーラみたいに出てるもので、しかも気づかないものです。    

 そして、一般意志がネット時代に2.0にアップグレードされたと仮定します。    

 ネットの行動はアクセスの集中で政治的な影響力になり得ます。でも、影響の発揮の仕方は独特です。物理的な運動を伴わないので、数値化され、データとしてストックされ、共有され使い回される、数字や分布図やグラフのたぐいです。ウェーバーでしたか、それを管理できる人達が眺めて、彼らのほうに自発的服従が生じるわけです。    

 その特性を活かさないかというわけです。だから、一般意志の無意識性を熟読しているのならば、「ネット投票に丸投げするのかよ」とか言いにくいはずです。というのは、上記のように、データベースを、政治家や官僚やネットサービス会社たちは粛々と参照し民意を体現せよとは言っていますが、投票行動は飛躍し過ぎなんです。    

 投票行動って、「投票する」っていう意識的行動でしょう。無意識の表れを活用せよ、というのは、熟議制民主主義が機能不全だからです。現実の選挙に行くのは3割くらいです。7割の有権者は、レジャーか、仕事かいずれにせよ選挙してません。だとすれば、今だって民意なんて体現してないかもしれない。  

 ならデータベースというフロイト的な社会の無意識の表れが一般意志としてオートマチックに立ち上がって来るのだから、無意味な選挙と合わせ技で使えばどうですかと言っているわけです。現行憲法は、間接民主制=いわゆる代議制を明文化してます。だから、直接民主制をとるには、改憲しなくてはいけないことになります。ちなみに国民投票制度は、議員たちの考えと併存してますよね。補完しあってるわけでしょう。    

 けど、そんなリスクをとらなくても、一般意志(データベース)を用いればいいんだよと言ってるんです。例えば、グーグルの履歴、ツイッターのつぶやき。人気サイトのアクセス数とアクセス元。    

 ただし、一般意志の「用い方」は、つい先日アメリカでも大いに話題になった、個人情報収集や盗聴や検閲に繋がりうるような、著作権保護法制などネット規制の形を取って議論化します。    

 けれども、あくまでもルソーが夢想したように、「自然に立ち上がったもの」こそが至善なわけです。    

 国民を搾取対象にしたり、犯罪者予備軍扱いしたり事前監視するような情報収集は違憲でしょうけど、しかしスレスレのところで、上記のように、政治家や官僚に(あたかも企業のマーケティングリサーチのように)民意は知らされるべきではあるのです。その方法を皆で考えるべきです。    

 という話を読み取っていたのだけど、非難する皆さんは違うのだろうか?